くらし年表
| 年代 | 西暦 | 年号 | 町のできごと |
|---|---|---|---|
| 旧石器 時代 |
〜BC10,000年 | 少なくとも先住民族がこの地方に住みついていたと考えられる。 | |
| 縄文 時代 |
BC10,000年 〜BC300年 |
松島湾内で最も古い貝塚[吉田浜貝塚]松島湾内の3大貝塚[大木囲貝塚・西ノ浜貝塚(松島町)・里浜貝塚(鳴瀬町)] |
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| 弥生 時代 |
BC300年 〜AD300年 |
この時代になると縄文時代の原始生活からぬけだして、青銅器や、鉄器を使用し、稲作が始まる 七ヶ浜は丘陵に富み、海湾にのぞんでいるので、原始生活の狩りや木の実を採って生活をしていた人々も多かった しかし、一部では稲作も始められていたと思われる(多賀城市大代枡形囲から、稲籾のあとが残っている弥生式土器の底部が発見されている。 | |
| 古墳 時代 |
300年 〜700年 |
この時代になると農耕(稲作)がさかんになり、上下の身分関係が生まれてくる。その長(豪族、首長)となったものは、大陸の文化の影響もあり、壮大な高塚墳墓をつくるようになった。七ヶ浜は広い耕土もなく、高塚古墳もありませんが、横穴古墳群が湊浜薬師堂内や砂山、そして花渕浜高山の断崖におもかげを残している。 | |
| 724年 | 神亀1年 | 鎮守府(支配する所=城)として多賀城がつくられた。七ヶ浜の竹ノ水門(現在の湊浜)は国府の港として栄えたと思われる。また、国府で使用する塩をつくっていた(製塩)跡が見られる。 ・東宮浜 ・花渕浜など |
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| 794年 | 延暦13年 | 湊浜地区に薬師堂がつくられた。この堂は舟人が安全な航海を祈るために建てられたといわれている。 | |
| 1192年 | 建久3年 | 伊沢氏(留守氏)の家来である花渕紀伊(花渕城主)と吉田右近(吉田城主)は1590年(天正18年)留守氏が滅びるまでの約400年間にわたり代々七ヶ浜地区を領地にしていた。 | |
| 1603年 | 慶長8年 | 政宗が仙台城に入ってから滅びるまでの286年間(明治4年の廃藩置県)七ヶ浜地区は藩の直轄地となり代官による支配が続いた。 | |
| 1664年 | 寛文4年 | 4代藩主綱村は大代、湊浜に流れていた七北田川を蒲生に変える工事を始めた。また七北田川の支流として、福田町、苦竹、宮城野原に水路を掘り、仙台城下への物資輸送の利便をはかった藩主は開こんを進めた。七ヶ浜地区もこのときおおいに農地をひろめた。 | |
| 1876年 | 明治9年 | 7つの地区をあわせて七ヶ浜とよび役場をもうけた。 | |
| 1887年 | 20年 | 七ヶ浜をひとまわりする道路が整備された。 |
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| 1888年 | 21年 | 菖蒲田浜に海水浴場ができた。菖蒲田浜に駐在所ができた。 | |
| 1889年 | 22年 | 町村制施行で七ヶ浜村が誕生した。(人口4,157人)花渕浜の高山に外国人別荘地区が開かれた。北上川より阿武隈川まで新しく運河を開き、また、川はばを広げて貞山運河がととのった(1883年よりはじめた)大代の貞山堀に有料の浮橋ができた。 |
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| 1904年 | 37年 | 村からの出征者157人、戦死7人、負傷者78人 | |
| 1906年 | 39年 | 菖蒲田浜に郵便局ができた。 |
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| 1908年 | 41年 | 電報をとりあつかうようになった。このころ花渕浜に駐在所ができた | |
| 1913年 | 大正2年 | 個人経営の有料の大代橋(浮橋)が破損し、渡し船通行となった。津波がきた。損害91,583円 |
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| 1914年 | 3年 | 君ヶ岡を公園として整備を始めた。 | |
| 1915年 | 4年 | 七ヶ浜村役場が菖蒲田浜にできた。このころから漁船に石油発動機をつけるようになった。 | |
| 1917年 | 6年 | 村で、電とう工事がはじまった。 | |
| 1920年 | 9年 | 国勢調査(村の人口6,284人) 村に消防組がつくられた。 |
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| 1923年 | 12年 | 七ヶ浜の海岸地域が特別名勝松島の地区に指定された。 | |
| 1925年 | 14年 | (人口6,626人)菖蒲田から仙台へ、花渕、吉田をとおって塩釜に通ずる道路をなおして県道ができた。貞山橋をつくる工事をはじめた。 |
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| 1927年 | 昭和2年 | 役場にはじめて電灯がついた。日米親善のため松ケ浜小学校に青い目の人形おくられた。 | |
| 1928年 | 3年 | 花渕浜に船の信号塔ができた。 | |
| 1929年 | 4年 | このころから「のり」の養殖がはじまった。 | |
| 1930年 | 5年 | (人口7,441人)はじめてバスが通るようになった。吉田浜に郵便局ができた。 |
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| 1931年 | 6年 | 北洋サケ、マス流し網漁業に日本ではじめて七ヶ浜から3せきの船が出漁した。(昭和18年中止) |
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| 1933年 | 8年 | 津波がきたが損害は少なかった。 | |
| 1934年 | 9年 | 北洋漁業に村から33せき出漁した。 | |
| 1935年 | 10年 | (人口8,463人) | |
| 1937年 | 12年 | 津波がくる。松ケ浜浜屋敷海岸堤防が100メートルぐらいこわされた。 |
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| 1938年 | 13年 | はじめて電話がつけられた。 | |
| 1939年 | 14年 | 日中戦争で七ヶ浜村民が36人戦死した、 (人口9,279人) |
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| 1941年 | 16年 | 太平洋戦争で七ヶ浜村民が366人戦死した。 | |
| 1947年 | 22年 | (人口10,594人) | |
| 1949年 | 24年 | 菖蒲田浜に診療所ができた。 |
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| 1950年 | 25年 | (人口11,618人) | |
| 1952年 | 27年 | 花渕浜漁業協同組合の魚市場が開かれた。 | |
| 1954年 | 29年 | 代ヶ崎浜西の浜海岸の護岸工事が完成した。塩釜市・多賀城市・利府町・松島町と消防相互応援協定を結んだ。 | |
| 1955年 | 30年 | 吉田浜に診療所ができた。 (人口約11,953人) |
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| 1957年 | 32年 | テレビがはじめて見られるようになった。宮城県から七ヶ浜村・利府村・塩釜市の合併が話題となった。 | |
| 1959年 | 34年 | 七ヶ浜村から七ヶ浜町になり、役場を今の場所に移した。代ヶ崎浜駐在所ができた。仙台火力発電所が完成した。 |
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| 1960年 | 35年 | (人口13,054人)チリ地震津波の七ヶ浜町での被害(流失家屋5、全壊家屋8、半壊家屋20、床上浸水105戸) |
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| 1962年 | 37年 | 鉄筋3階建ての役場が完成した。 |
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| 1963年 | 38年 | 東宮浜に駐在所ができた。じゅんこう船が廃止された。要害浦埋立て工事完了。 | |
| 1964年 | 39年 | 花渕灯台ができた。亦楽小学校が鉄筋3階建てになった。 |
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| 1965年 | 40年 | (人口13,322人) | |
| 1966年 | 41年 | 町全体の水道が完成した。 | |
| 1967年 | 42年 | 第1回町民運動会が開かれた。 | |
| 1968年 | 43年 | 給食センターができた。学校給食を開始した。大木囲貝塚が重要文化財として国から指定された。 |
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| 1970年 | 45年 | (人口14,204人) 塩釜地区消防事務組合ができた。七ヶ浜町公民館ができた。 |
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| 1971年 | 46年 | 七ヶ浜町民体育館ができた。消防の七ヶ浜出張所ができた。 | |
| 1972年 | 47年 | 自動電話に切りかえられた。七ヶ浜町母子健康センターができた。 | |
| 1974年 | 49年 | 松ヶ浜謡地区造成が完成した。君ヶ岡に大貯水タンクができた。七ヶ浜町商工会ができた。 | |
| 1975年 | 50年 | (人口16,164人) 遠山保育所ができた。湊浜地区集団移転がはじまる。 |
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| 1977年 | 52年 | 野球場ができた。汐見台団地の造成はじまる。 | |
| 1978年 | 53年 | 総合文化センターができた。宮城県沖地震の七ヶ浜町での被害建築物の破損59戸、死亡1人被害総額2億3千万円。陸上競技場兼サッカー場ができた。 |
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| 1979年 | 54年 | 七ヶ浜ニュータウン着工。武道館、テニス場ができた。野球場に照明施設ができた。 | |
| 1982年 | 57年 | 屋内町民プールができた。 | |
| 1983年 | 58年 | 陸上競技場兼サッカー場、テニスコートに照明施設が完備した。 | |
| 1984年 | 59年 | 七ヶ浜中学校に武道館ができた。野外活動センターにファミリーゴルフ場ができた。 | |
| 1985年 | 60年 | (人口18,106人) | |
| 1986年 | 61年 | 七ヶ浜歴史資料館ができた。 | |
| 1987年 | 62年 | 国際トライアスロン仙台大会の水泳、自転車競技が七ヶ浜町でひらかれた。 | |
| 1989年 | 平成元年 | 七ヶ浜が村になってから100年になった。(七ヶ浜開村100年) 国際交流を始めてから100年になった。(国際交流100年) 七ヶ浜が町になってから30年になった。(七ヶ浜町制30年) |
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| 1990年 | 2年 | (人口19,523人) インターハイ・ヨット競技が七ヶ浜町を会場に行われた。第1回青少年海外研修生が友好都市アメリカのプリマスで研修を行った。プリマスと姉妹都市を結ぶ。 |
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| 1992年 | 4年 | 町の人口が2万人に達した。(11月) | |
| 1993年 | 5年 | 七ヶ浜国際村がオープンした。(7月) | |
| 1994年 | 6年 | 生涯学習の町を宣言した。屋内ゲートボール場ができた。町営の公園墓地ができた。 | |
| 1995年 | 7年 | 姉妹都市プリマスの375周年祭に吉田浜獅子舞が参加した。仙台国際トライアスロン大会が七ヶ浜で行われた。 | |
| 1996年 | 8年 | 七ヶ浜国際村・多賀城文化センター間のバス路線が開始された。七ヶ浜特産オリジナルアイス「ボヤージュ」新発売。 | |
| 1997年 | 9年 | 町民プールが温水になった。24時間ホームヘルプサービスが始まった。 | |
| 1998年 | 10年 | アクアリーナとサッカースタジアムができた。七ヶ浜国際村が建設大臣の表彰を受けた。 | |
| 1999年 | 11年 | 町内7つの漁協が合併して「七ヶ浜町漁業協同組合」が誕生した。 | |
| 2000年 | 12年 | (人口21,134人) | |
| 2001年 | 13年 | 七ヶ浜町で国体サッカー競技(少年の部)が行われた。 |

松島湾内で最も古い貝塚[吉田浜貝塚]
鎮守府(支配する所=城)として多賀城がつくられた。七ヶ浜の竹ノ水門(現在の湊浜)は国府の港として栄えたと思われる。また、国府で使用する塩をつくっていた(製塩)跡が見られる。 ・東宮浜 ・花渕浜など
七ヶ浜をひとまわりする道路が整備された。
町村制施行で七ヶ浜村が誕生した
菖蒲田浜に郵便局ができた。
個人経営の有料の大代橋(浮橋)が破損し、渡し船通行となった。津波がきた。損害91,583円
(人口6,626人)
(人口7,441人)
北洋サケ、マス流し網漁業に日本ではじめて七ヶ浜から3せきの船が出漁した。(昭和18年中止)
津波がくる。松ケ浜浜屋敷海岸堤防が100メートルぐらいこわされた。
菖蒲田浜に診療所ができた。
七ヶ浜村から七ヶ浜町になり、役場を今の場所に移した。代ヶ崎浜駐在所ができた。仙台火力発電所が完成した。
(人口13,054人)
鉄筋3階建ての役場が完成した。
花渕灯台ができた。亦楽小学校が鉄筋3階建てになった。
給食センターができた。学校給食を開始した。大木囲貝塚が重要文化財として国から指定された。
総合文化センターができた。宮城県沖地震の七ヶ浜町での被害建築物の破損59戸、死亡1人被害総額2億3千万円。陸上競技場兼サッカー場ができた。
(人口19,523人)
七ヶ浜町で国体サッカー競技(少年の部)が行われた。